キーワードエッセイ

公共空間

公共空間

三谷 徹

「公共空間」。この四文字熟語ほど扱いの難しい言葉もない。ランドスケープデザインにおいてたびたびお目にかかる用語である。

公共とは何か? 公に、共に、平等に──という意味だろうか。行政からは「事前調査から得られた市民の声、公共の意見に沿う」という方針が打ち出されるが、その「市民」とは誰なのか、調査や統計データからだけでは、その顔がよく見えてこない。顔が見えないままデザインを行うと、結局は誰にとっても魅力的でない空間ができてしまう。デザインとは、いままでになかった新しい価値を創出しようとする行為であり、そこに標準解を期待されると、デザインそのものが止まってしまうのだ。

では、どうすればよいのか。公共の場の設計であっても、不特定多数のためにつくろうとすることをやめればよい。その代わりに、最もよく知っている人間、すなわち自分のためにつくるのだ。自分もまた市民のひとりに違いないのだから。

「この広場はこの辺りの居心地がいいな」「ここに木陰があるといいな」「このアップダウンは厳しいな」と、すべてを自分の感性を最大限に開いてで決めいく。むしろ、自分の感性を研ぎ澄ますことこそが大事なのかもしれない。そのようにしてかかわることのできる「公共空間」のデザインには自信がある。市民としての自分を満足させているからである。そして、そのようにデザインされた公共空間に自分と同じ満足を感じてくれる人が現れたなら、わたしとその人、ふたりの市民がこの空間への共感を通じてつながったことになる。さらに100人、1000人と広がっていけば、これほど楽しいことはない。

公共は「共感」によって生命を得る。公共のためには、設計者が統計データという仮面をかぶるのではなく、個人としていきいきしていることが大切なのだと思う。

2025年10月31日