キーワードエッセイ

ゴミ

ゴミ

戸田 知佐

美大の学生だったころのわたしは、「インスタレーション」と称して屋外設置の大きな作品をつくっていた。高尾の大自然のなかにアート作品を配置し、その自然環境の力を可視化しようと試みていたのである。

アーティストのロバート・アーウィンの本を読み、「サイトスペシフィック」という考え方に興味をもち、環境アートのまねごとをしていた。一所懸命につくった作品も売れるわけではないので、プレハブの大学アトリエの外に一時保管する。ほかの学生も同じで、美術学科のアトリエの外には多数の作品が置かれていた。

その近くに、大学の焼却炉があった。当時はまだ焼却炉の規制が甘かったため、大学のさまざまなゴミをその焼却炉で燃やしていた。ある日、ふと気がつくと、焼却炉担当のおじさんが、アトリエの外の作品をどんどん焼いているではないか。ゴミと作品の一時保管場所の境界線が曖昧になり、おじさんはゴミだと思って作品を焼きはじめたのだ。

そのなかにわたしがつくった土壁の作品も入っており、1/3ほど燃やされた状態で焼却炉から助け出した。土壁が焼けてとてもよいてテクスチャーをつくり出していたのと、その体験が衝撃的だったので、それを卒業制作の一部とした。わたしにとっては作品でも、ほかの人にはゴミになる。そのとき、誰のゴミにもならない作品をつくりたいと思った。

産業革命以降、特に1950年頃から地層に人類の活動の痕跡が現れはじめ、「人新世」と呼ばれる時代にわたしたちは生きている。人間の営みは、やがて自らを滅ぼすのか? ゴミによって地球は破壊されてしまうのか?

人間の生活がある限り、ゴミがゼロになることはないだろうし、ゴミ焼却による空気汚染とディスポーザー粉砕による水汚染、どちらがより低環境汚染なのかという議論もなかなか正解が見つからない。息をすることでCO2は増え、地球はこれだけの動物を生かしていく力をもうもたないのかもしれない。

それでも、自然環境の仕組みを尊ぶこと、自然の浄化能力を壊さない設計をすることができるのはランドスケープデザインだと、わたしはまだ期待しているし、地球のゴミを減らすことに少しでも貢献したいと考えている。

2025年10月31日