キーワードエッセイ

石

三谷 徹

石材は、建築にとってもランスケープにとっても基本的な素材である。西欧では古来石造建築が主で、日本の庭園も石組みによってその様式を発展させてきた。

歴史を遡れば、天文観測と祭礼に用いられたというイギリスのストーンヘンジにしろ、神の宿る部屋と考えられた日本の磐座(いわくら)にしろ、洋の東西を問わず、石を据えたり石を立てたりすることは、人間にとって場所を記す最初の行為だった。それは石が最も変化を受けにくい素材であり、未来に向けて思いをつなごうとするとき、悠久の時間を背負うことのできる素材だからだと思う。

このように石は時間を含むものであるが、空間もまた含まれている。石が割れたとき、その表面の凹凸はその地域の山々の姿、風景のかたちと相似形を成す。

石が割れたとき、その表面の凹凸をよく見ると、その周辺の山々の姿や風景のかたちとにていることに気づく。それは、岩盤が侵食されたり崩落したりしてつくられる地理的な大きなかたちも、その石の割れかたと相似形になるからである。石は自然界のなかで、割れたり削られたり、あるいは風化して滑らかになったりしているが、その表情を引き出すだけで、風景を創り出すことになると思う。

石を舗装材に使いバリアフリーなどが求められるときも、我々はどこかに、石の割肌(わりはだ)を見せる工夫をする。そうすると、まちの足元は、単なる交通機能を解決するための舗装面ではなく、風景を語りかけてくる雄弁なデザイン要素になっていく。

プロジェクトによっては、石工職人さんたちが入れた矢や鑿(ノミ)の痕跡をあえて見せるときもある。そこには、硬く恒久的な素材に人の手が入ってゆく時間をかけた過程が目に見え、そのように設えられた空間であれば、人に大事にされ、丁寧に使われてゆくのだと思う。

2025年10月31日