キーワードエッセイ

生業
「生業(なりわい)という言葉は、生きるための仕事を指すが、かつては農業、およびその作物を意味する言葉であった。農業が人々の生業の大部分を占めていた時代には、田畑や農作業に励む人々の姿、そして周囲の自然景観がそのまま風景をかたちづくっていたことは容易に想像できる。
現代において風景がつくられる要因はさまざまである。農業がつくりだす田園風景のなかでも、棚田や段畑はとりわけ美しいものとして認識されている。これは、その土地の地形や気象条件などを読み解いてつくられており、人々の生業としての農業に根差した空間であるからこそ、誰にも否定できない必然性を備えているからだろう。人は、自然とその風景に共感を抱くのだと考えられる。
農業に限らず、世界各地にある山岳都市や水郷都市などにおいても、その環境で生きるための工夫が随所に見られる。人々はそうした「環境と生業がつくる風景」を美しいと捉えているのではないだろうか。わたしは、そうした風景からヒントを得てきた。多くの人々が美しいと感じる風景の背後には、環境とその場所での生業の関係が透けて見えることが大事なのではないかと思う。ただし、現代のように流行が目まぐるしく変わる時代には、一過性の生業もあり得る。流行り廃りに左右される風景は、一時的な美しさで終わってしまうため、人々に長く愛されるような持続性のある生業であるということも大事ではないだろうか。
このように考えると、ランドスケープデザインにおいても、常に生業を意識することが必要なことのように思えてくる。その土地で生きる人々の活動とその場所の環境との関係を「見える化」することがランドスケープデザインにおいて不可欠だと考えているが、とりわけそこに生業が含まれることで、より説得力のある風景が生まれるのだと思う。その結果、普遍性のある風景が維持されるとも言える。だからこそ、わたしは、生業、そしてそれを営む人々とともにランドスケープデザインを考えていきたいと強く願っている。











