キーワードエッセイ

Carrying Capacity

Carrying Capacity

戸田 知佐

「Carrying Capacity」という言葉を聞いたことがあるだろうか? 日本語では、「環境容量」もしくは「環境収容力」と訳されており、国立公害研究所(現・国立環境研究所)で1988年に第1回環境容量シンポジウムというのが開催されている。わたしが初めてCarrying Capacityという言葉を聞いたのは、ハーバード大学デザイン大学院のカール・スタイニッツ教授のランドスケーププランニングの授業である。

この概念は、環境生態学(ランドスケープエコロジー)の分野で生態系を評価する手段として最初に使われはじめた。その後、アメリカ合衆国のラージスケールプランニング(大規模開発)にてGIS(地理情報システム)が導入され、環境負荷の少ないまちづくり手法として、敷地の環境容量をベースに開発を考えるという方法論ができ上がった。

その手法は、敷地にはそれぞれ環境容量というものがあり、その環境容量を超えない範囲で土地利用がされれば、人の生活と生態系のバランスが取れた持続可能性が高いまちづくりが可能であるという考え方である。環境容量を超えた開発を行うと、環境の自浄作用が低下し、持続可能性が低くなる。

そのまちづくり計画の手順は、まず、敷地をGISで分析するところからはじまる。地形、天候、水資源の有無、土の状態、植生などさまざまな情報を航空写真や環境情報から分析する。たとえば、絶滅危惧種が多く生息する森林や水辺は保存する。絶滅危惧種などの特別な要件がなく、肥沃な土壌で水資源が豊かな場所は、耕作地に向いている。その場合、人の住まう場所はどこが最も農作業の効率がよく、生態系を壊さないのかなど、その土地の条件を複層的に考えながら、土地利用計画をつくる。同じ面積の敷地でも、土地が痩せていて食料資源の生産が難しい場合は、その土地が養える人数を試算し、まちの人口を制限するのである。

カール・スタイニッツ教授によるパナマのコイバ国立公園リゾート開発計画案では、いくつかのバリエーションが提示されている。A案は50室で初期投資を少なくして、その分売り上げも減るが、事業収支をバランスさせる。B案は1600室つくり、初期投資を大きくするが、その分売り上げも上げなくてはいけない。ローリスク・ローリターンの計画とするか? ハイリスク・ハイリターンの計画とするか? コンセプトやプロジェクトのあり方によって決まることなので、ビジネス的にどちらがよいという問題ではない。ただ、環境的にはローリスク・ローリターンで新しい開発を進めることにより、地球の自己回復能力を壊さないよう経済活動を行えるはずである。

敷地に降った雨は、敷地のなかで土に浸透させ、土地の恵みである作物をその土地で生活する人が消費する。GISや巨大コンピューターでの分析がある前の時代から、日本の里山の生活はまさにこの環境容量の考えに沿った生活をしていたのだと思う。雑木林の間伐材を薪として利用することにより林の環境を維持する。山で集めた水を使い、谷で田畑を耕し、食糧をつくる。林と谷の間に住居を置くことにより、山の手入れと田畑の手入れを行いながら住まう。

東京など、環境容量を遥かに超えた人口密度の街は、敷地の外から水や食料の調達をするため、膨大なエネルギーを必要とする。その土地の環境を壊しているだけでなく、そのエネルギーの調達のためにほかの地域の環境も破壊する。いまから東京を環境容量に則した土地利用に変えることは難しいだろうが、この意識を常に持ち、少しでも環境負荷を和らげる努力と経済活動がバランスできる方法を模索していきたい。

個人的にはこのような大きな開発だけでなく、小さな公園をつくるときも環境容量を考えるべきだと思っている。空間の密度感は、物理的にも心理的にもデザインの大きな要素である。緑地を都市のヴォイド(余白)という言い方をすることがあるが、実際にはヴォイドではない。樹木もあれば生物も生活している。ただ、この表現は嫌いではない。「余白」と呼ばれる部分が、余白以外の活動を支持している。余白をつくることにより、空間体験的にもシークエンスがつくられる。また、わたしたちが余白だと思って残した部分こそが、生物多様性につながる可能性が大きい。

人は地球の上に生きているだけでなく、地球の持っている力のお陰で、食べさせてもらっている、その事実を忘れず、人の営みが生態系の一部として成り立つようなかかわり方を模索し続けたい。

※p.203『新建築』(新建築社、2006年5月号)

2026年07月10日