キーワードエッセイ

音
目を閉じて耳を澄ますと、無作為に混ざり合い流れ込んできていた音が脳のなかで整理・分解され、自分を包み込む世界を一つひとつ丁寧に紐解いていくような感覚に陥る。そのとき頭のなかに現れるのは、情景や具体的な物や生き物、ある行為あるいは過去の記憶などさまざまである。音を認識するとは、音そのものを確認しているように思え、同時にその音に紐付けられた世界や記憶のなかのものごとに対しての気づきも与えているのである。音自体も、記憶や空間、視覚体験などほかの要素と合わせて初めて存在が生きているとも言える。
ここのところ音を空間構成の要素に取り入れるプロジェクトを担当することが多い。特定の環境への没入感を高めることであったり、音を遊びのきっかけとして用いたり、視覚障害のある方に対する案内など。いずれも音楽とは異なり、音そのものを主役にするのではなく、周囲の環境に馴染ませながらも、人為的に聴覚への刺激をコントロールすることを目的としたものだ。それぞれの環境において音が不自然であってはならないことがポイントである。なかなかそのコントロールが難しい。
たとえば、施設の近くを走る車の走行音を緩和すべく、せせらぎをつくり水の流れの音でその騒音を軽減する試みがあった。水景は、自然のなかの施設ゆえ、音だけでなく姿かたちもさりげなさが求められた。水音は水量と石の配置によって決まる。石のかたちや組み方、高低差を調整しながら水の当てどころを決め、自然でさわやかな流れに聞こえるポイントを目指す。わずかに当たりどころが悪くなるだけで耳障りな印象になり、繊細な調整が要求された。さらにこの施設では実際の音量では足りず、音だけを増幅することを試みた。人工音源が必要になり、専門家は仮の音源を何通りもつくり、それらを一つひとつ再生し、馴染むか関係者で確かめていく。幾度もの試験、丁寧なチューニングの末、「あ、これだね!」と関係者で合意できるところにたどり着いたのである。
「馴染む音」を探すのは本当に大変で、視覚的に水の流れと音の雰囲気がシンクロしているように感じられることは当然だが、その場の景色だったり、空気感だったり、施設の特性や雰囲気などと一致させる必要がある。そしておもしろいのは、音がはまったときは、関係者みなで瞬間的に合意できたことである。いかに音の情報が人間のその他の感覚とリンクしているのか、日常的に触れている音が脳のなかで基準としてつくり上げられているのか、人間の感覚がいかに複雑に、そして精密に統合されているかを思い知った。 おそらく一生のうち、まったくの無音の世界にはほとんど出くわすことがない。人間の音に対する感覚は、思うよりも鋭い。自然に馴染む音を人為的に組み込むことに苦労するのも頷ける。音を主役にした音楽とはまた異なると述べたが、たとえば野外フェスでも、景色や空気と音が一体化して、すーっと溶け込むような、気持ちのよい感覚に陥る瞬間に出会うことがある。日常的に耳に入り続けている「音」という存在は、実は空間体験において非常に重要な位置を占めるのである。
