キーワードエッセイ

自然災害

自然災害

三谷 徹

何をもって「自然災害」というのか。台風、地震、大雪、火山活動……しかしそれらは、自然現象の一部であって、災害と騒いでいるのは人間だけである。すなわち自然災害とは、人間が都市生活を維持するのに不都合な現象のことであり、「災害」とだけ呼んでいると本当の自然の威力を見誤る。それは自然の大きな呼吸の一部であって、都市を復旧すれば済むという話ではないだろう。むしろ昨今の温暖化による異常気象は、自然災害ではなく人為災害ではないか。

都市システムは、その効率性からなるべく一定状態の維持を求める。変動が少ないほど、ランニングコストが抑えられるからである。しかし、こうした前提に一石を投じたある学生の修士研究があった。数百年単位で見れば、河川がときどき、一般に災害と捉えられがちな洪水撹乱(生態系を再構築する洪水。氾濫によって土砂や栄養分が運ばれ、植生のリセットと河川空間の多様化が促される)を起こしたほうが、人間社会の効率にとってもよいという研究・設計提案である。10〜50年単位でやってくる強度の洪水撹乱を効果的に活用するランドスケープデザインを行えば、河川の植生遷移にもその土地利用の効率からもよい状態が維持されるというおもしろいプロジェクトであった。

しかし、行政はそう考えないようだ。高い堤防を築き、自分の生きている数十年の間の予測可能な状態を確保しようとする。その結果、生態系は脆弱になり、撹乱によるリセットを失った河川沿いでは特定の植生が優占的に繁茂し、河川流路に悪影響を及ぼす。すなわち豊かな土地と風景は失われていく。

人命を守るのもランドスケープの仕事である。東日本大震災のあと、土木系では巨大堤防の建設が急速に進められ、都市計画系は住区の高台移転を推進した。その陰でほとんど知られていないが、ランドスケープの学会などでは、津波は「いなす」という考え方を提唱していた。あるまちへの提案では、津波が到達した高さの山腹に桜並木の道を設ける。風景のなかでどの高さまで津波が来たか一目瞭然であり、そこへ登る「津波てんでんこ(※)」の避難経路を強化したまちにすれば、従来の土地に従来の暮らしを続けられるのではないか、という考え方である。

海を遮断してしまう巨大堤防は不要ではないか。防災の指標となる桜並木は一つの名所を生み、毎年の桜祭りが記憶の継承にもなる。しかし、当時一部の人々は不安から、なんとしても人間の力で津波をコントロールしようとした。自然現象を「災害」と一言で片付けてしまうのは、自然に対する賢い向き合い方ではないだろう。むしろ、自然現象のどこまでを受け入れ、どこからいなすのか、そここそランドスケープデザインの腕の見せどころといえよう。

※「津波が来たら、いち早く各自てんでんばらばらに高台に逃げろ」という三陸地方に伝わる言い伝え。

2026年07月10日